飛田』(とびた)
今池駅から分岐した南海平野線の最初の停留所はここ『飛田』駅。
専用軌道跡は建物が建っているのに、停留所跡だけが鋪装もされ
ずにフェンスに囲まれて残っている。誰が植えたのか家庭菜園の
ようだ。再利用しないのかな?


左はチンチン電車の送電線が張ってあった電柱?
こんなのがあちこちに残っている。

まるで忘れられたようやね。。。


飛田新地(とびたしんち)『嘆きの壁

遊廓(ゆうかく)と書いて隠語で『くるわ』と読む。『くるわ』とは「囲い」、あるいは「四方を囲まれた場所」の事をいう。 
昭和33年、売春禁止法施行まで、ここ飛田には
くるわがあった。


大門、「中」から。

写真は飛田新地の大門跡(おおもんあと)。左右に門柱があって真中を道路が通っている。
ここには大きな扉が付いていたそうな。蝶番の跡がある。
門柱の外側に壁が立っているのが解るだろうか。隣の建物の壁ではない、
これが『くるわ』の跡。高さ4mを超える塀の跡なのだ。
250m四方をこのコンクリートの壁が囲っていた。

明治の終わりごろ難波新地乙部遊廓が焼失したため、貸し座敷き業者の
失業対策の為、大正7年にここに移ってきたという。
全盛時には220件が営業、2700人の遊女が従事していたそうな。
この刑務所の塀のような『くるわ』は『嘆きの壁』とも言われて遊女が逃げない為の対策で、
6つの門のうち交番のある大門(西側)だけが開いたという。
(土地の人は塀の内側を「中」と呼んだ。また「一条」とも言う。)


蝶番の跡がある。


交番は当時の場所に。


一部残った壁が商店街から見える。(外側)

お巡りさんが門番なんや〜。今では考えられんな。

大門通りを東に行くと阿倍野区との境の崖の石垣に突き当たる。
(大正期は同じ天王寺村、崖下はもともと刑場と墓地があった。)
阿倍野は丘陵地だから自然の地形を利用して出来たものだろう。
古い石垣が今でも一部残っている。

平成4年までこの崖の上にも開業当時の塀があった。
いまは一度撤去されて石垣とともに新しくなっている。
デザインは変わったけれども形はだいだい同じだ。



新しくなった東の壁。(外側は低い。)


東の壁(中から)


石垣(中から)

40年間「中」と外界を遮っていたこの『嘆きの壁』は、そのほとんどが取り壊されて今はもう知る人も少ない。

でも女の人はうろつかない方がいいな。


「鯛よし百番」

大正期に建てられた妓楼を売春禁止法施行後、料亭に改装した。
今は持ち主が変わって、大衆居酒屋になっている。
妓楼時代の内装は今では考えられないくらい贅沢。

『百番』という名前は妓楼時代のものらしい。
区画整理番号のような名前だが、大門に近いところに「一番」
という店があったそうだから番号をそのまま屋号にしたのだろう。
(推測)
ちなみに大門に近い店程、料金が安かったと言う話だ。

『百番』は東の端近く、奥まったところにある。
当時はきわめて格式の高い店だったらしい。
2000年2月に登録文化財になっている。


次は乗り換えの駅。


戻る


進む

好きな駅をクリックしてな!