阿倍野橋歩道橋から南(阿倍野区)側、府道30号線。(松虫までもと熊野街道と重なる。)

現在営業中の上町線下り始発駅は「天王寺駅前」やで。
府道30号線の道路の真中に小さい駅があって、その脇を自動車が通り抜けてゆく。
天王寺は南大阪の玄関口で、JR環状線、阪和線、近鉄南大阪線、
その他地下鉄が2系統駅をもっている.
 小さな繁華街があって、チンチン電車が通る通りはわりと賑やか。

このへんは別名阿部野街道って言うんや!


 賑やかな通りを一歩入ると静かな住宅街、そんな中に小さな鳥居の小さな祠がある。「松長大明神」だったか?
その狭い敷地の中に
阿倍野という地名の由来を示す、石碑がある。

阿倍寺推定地、「阿倍寺千軒」と言われ広大な敷地をもっていたと伝えられる。

阿倍野区松崎町には「阿倍寺」「東阿倍寺」という字名が残っていて、昭和10年には寺の「塔刹柱礎石」や瓦などが発掘された。
このあたりを本拠にしていた「阿倍氏」の氏寺で、奈良時代には存在していたとされるが白鳳時代の瓦も発掘されている。
大化の改新時、飛鳥から難波長柄宮に遷都されたころ、阿倍氏も大和より移ってきたのかもしれない。


「塔刹柱礎石」今は天下茶屋公園にある。
長さ207B、柱穴直径61B。

阿倍野という地名は古く、「阿倍氏の住む野っぱら」というのが
由来の最有力となっている。(区名になったのは昭和になってから。)
阿倍(安倍)氏は『阿倍倉橋麿呂』や 遣唐使、『安倍仲麿』(=阿倍仲麻呂)
などの一族。
後の物語で『安倍晴明』の生誕の地とされたのも、
以上のような由来があったからとされる。


もっとも、阿倍氏は平安時代初期に他の地に移った為、
晴明の頃には地名だけだったかも。


天王寺区になるけど、近所にこんなのもある。


天王寺公園内茶臼山

「茶臼山古墳」ちゃうすやまこふん

四天王寺建立時の記録に「難波の荒綾に寺を建立した。」とあるが、
その「荒綾」がこの茶臼山だという説がある。
四天王寺には「荒綾」から出た石棺の蓋が保存されているそうな。
けれども、この山からは埴輪のかけらすら見つかっていない。
のちの時代に堀を掘ったことから、その土を盛った山ではないかとも
言われている。

「大阪冬の陣」では家康が本陣をはった、「夏の陣」では真田幸村が
布陣したところ。また元住友家本邸があったところでもある。

四天王寺「庚申堂」こうしんどう

文武(もんむ)天皇大宝(たいほう)元年(701)正月7日庚申
(こうしん)の日に、青面金剛童子(せいめんこんごうどうし)が
この地に出現し、当時大流行の疫病をしずめたという。
それでここが庚申信仰発祥地といわれ、三猿信仰や庚申の日に
北向きで「こんにゃく」を食べるなどの風習を生んだ。
(以上大阪土木協会の公式HPから)

さっぱりわからんな?


庚申堂南門


ちょっと休憩

右の写真は勝平がよく行く漫画喫茶やで。
蔵書6万冊。
こんなにあるのはこのへんではここだけ。
女の子も結構きてるよ。
近鉄百貨店立体駐車場1F


まだまだ散歩はつづくよ!次は〜。


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