散歩道の入口付近。

散歩道は終点の「平野」駅跡で終わり、
ここから旧環壕都市に入る。

昭和の初めまで、多くの環壕が残っていたというから
チンチン電車が開通した頃にはまだあったんやろな。
ここは旧「西脇口門」のあったところで街の南西になる。
「住吉堺道」に繋がっていたそうな。
今は商店街になっていて賑やか。といっても繁華街って
程でもなくって地元の人たちが買い物に来る。
お寺や古い建物がたくさんあるけど、住吉地区とは少し違う。
もともと商業の街だったからかもね。

大阪商人の発祥の地やからな〜。

「平野環壕都市跡」

「平野十三口」

中世、自治都市だった平野は戦国時代は自衛の為、壕と土累を
街の周りに巡らしていた。壕の間には13の木戸口があって、
それぞれが街道に繋がっていた。「杭全神社入口」以外には
地蔵堂があって、街を出るときは旅の安全を祈り、入るときは
外の変事を地蔵堂で払ったそうな。

ここは「西脇口地蔵」。変事を払って街に入ろう。


「大念仏寺」だいねんぶつじ


本 堂

西脇口から北西に歩くと馬場口地蔵ってのがあって、ここは大阪から「大念仏寺」への参詣口になっていた。
融通念仏宗の総本山で、大治(だいじ)2年(1127)鳥羽上皇勅願により良忍(りょうにん)上人が開基。
国宝「毛詩鄭箋残巻」、重要文化財「融通念仏勧進帳」等があるそうな。
総本山特別行事として1・5・9月のそれぞれ16日に百万遍会(大数珠くり)、5月1〜5日の阿弥陀経万部会は有名。
本堂は、木造の建物では大阪府下最大のもの。

ん〜。たしかにでっかいぞ〜。

ここは街の北西の端、でも壕や土累はもうないんや。


山 門


本堂北側


小林一茶の碑


山門前、馬場口地蔵


「坂上廣野麿屋敷跡」さかのうえひろのまろやしきあと

平安朝の初め(800年頃)蝦夷との戦いに武功をたてた坂上田村麿の
第2子廣野麿が、朝廷から杭全庄を賜わり、この地を領有した。
廣野麿は、この地に永住し、天長5年(828年)3月9日に亡くなった。
坂上家は以来、代々民部を名乗り、この地を領有し、
人々から平野殿と呼ばれたが、地域の発達とともに子孫が広がり、
のちに平野の七名家となった。
(平野区の公式HPから)

「ひろのまろ」がなまって「ひらの」になったそうや。


もうちょっと平野を見てみよう。


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つづく

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