下り一番ホーム

「我孫子道」

安立町から南に下って来ると、東側が「パッ」と開けて来る。
西側は紀州街道沿いの古い町。東側は新しい町って感じかな。
ここは紀州街道と我孫子観音に行く道の交差点。
商店街があって賑やか。

「我孫子道」は大阪市内の最後の駅で、阪堺線に乗り入れた
上町線の終着駅。車庫があるからね。
阪堺線は堺市内に行くけど、料金は200円、追加になるねん。
そんな事情でホームが4つある。


駅の事務所ではグッズを売ってるよ。
定期的に車庫も開放される。


3番から4番ホームを見る


我孫子車庫


我孫子道から海の方へ進んで、


旧書院(東池から)

「加賀屋新田会所跡」
かがやしんでんかいしょあと

このあたりには延享2年(1745年)、大阪淡路町の両替商、加賀屋甚兵衛によって干拓された新田があった。
商用で紀州街道を何度も通った甚兵衛が、このあたりの砂州を見て、新田開発に適した地であることを知って始めたらしい。
新田っていうのは海を干拓して作った新しい田んぼのこと。当時は幕府の奨励で、大阪の裕福な商人が開発、経営していた。
会所は宝暦4年(1754年)の建築で、小堀遠州流の築山林泉式庭園や数寄屋風の建物が一部現存し、
「愉園」と名づけられ大阪名園の一つになっている。平成13年12月11日、大阪市有形文化財・史跡に指定された。
民間資力による開拓事業は、その後数回にわけて北へ北へと拡張されたが、幕府の崩壊とともに終る。
その間の開拓総面積は、今日の大阪市域のほぼ1/3にもあたる。


長屋門


旧書院


西側庭園


東池と鳳鳴亭(茶室)



地図は大阪市文化財協会のHPから

「豆知識」その2

「阿倍野」で紹介した古墳時代の地図。
薄い水色が昔、海だったところ。
緑は現在遺跡のあるところ。
会所跡は住之江区の南端。


「宮の北の郊野を掘りて、南の水を引きて西の海に入る。
因りてその水を号けて堀江と曰う。又将に北の河のコミを
防かむとして茨田堤を築く。」(日本書紀、仁徳天皇11年の条)

河内湖は5世紀から干拓が始まった。淀川が大阪湾に直接流れる
ようになって、北側の滞積が早くなったけど、大和川は江戸時代に
ルート変更された為、南の住吉は甚兵衛の時代、海岸線に近かった。
水色の中の緑の点が北側に多いのもそのせい。

大阪は今でも埋立をしている。。。。

1600年も開発やってるんや!



チンチン電車は大和川を越えて堺市へ。この章はここでいったんさようなら。

またね!


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